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元サッカー日本代表「中田英寿」勝ち組男の現在の年収とは?(その2) [年収]

【現在の中田英寿はどうやって年収を得ているのか??】


サッカー引退した後の中田英寿は、
メディアへの露出があまり多くないものの、
様々な方面で活躍しており、
今もなお、年収が億単位であると言われている。
では一体どうやって収入を生み出しているのか?


■1.株式会社 東ハト役員

元サッカー日本代表「中田英寿」勝ち組男の現在の年収とは?(その1)

で説明した「年収」の内訳として、
2003年以降は「株式会社 東ハト」からの収入(役員報酬)も含まれている。

というのも、中田はセリエA(パルマ)在籍時の2003年7月に、
株式会社 東ハト社長(当時)である「木曽健一」より、
同社執行役員としての招へいを受けたのだ。

中田が任されたのは、
東ハトの企業ブランドから、商品ブランドまで、
社内のあらゆるブランドを統括する部門を率いる
チーフ・ブランディング・オフィサー(CBO)という役割である。

2003年3月、東ハトは業績不振から破産申告をし、
急務の立て直しが必須だった。
その立て直しには社員の意識改革が必須。
しかし、破産申告をした会社の社員の
モチベーションを取り戻すことは容易ではなかった。


そのために木曽は、
社員のモチベーション・意識改革を加速させることのできる人間を模索。
そこで浮上したのが中田英寿だったそうだ。

「チャレンジスピリット、チームワークの重要性理解、
勝利のためにチームメートを鼓舞するリーダーシップ」

どれをとっても中田英寿以外はあり得ない。

木曽健一にとって、当時の適任者は中田以外に考えられなかった。


こうして木曽は、無理を承知で中田サイドに依頼。

すると意外にも、
「面白い。考えてみましょう」


これが中田の返事だった。


こうして2003年7月、中田英寿 東ハト執行役員就任。
現在もなお、その職務を全うしている。


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■2. 株式会社サニーサイドアップ 筆頭株主

株式会社サニーサイドアップは、
広報活動支援・スポーツ選手・文化人のマネジメント
などを手掛ける会社である。

中田自身も1998年から所属しており、
プロゴルファーの上田桃子や、
シンガーソングライターの大黒摩季らも所属している。

中田は所属と同時に、
社長の「次原悦子」に次ぐ、2番目の大株主である。
配当金だけでも、年間800万円を受け取っていると言われている。



この他にも、
一般財団法人「TAKE ACTION FOUNDATION」の代表理事
観光庁「アドバイザリー・ボード」のメンバー
FIFA親善大使も務め、

世界各地にビルを所有し家賃収入を得ているなど
すべてを合わせると、億単位の年収をはじきだすであろう。


現役時代から、経営者としての目も
しっかりと持っていた中田英寿。
まさに、勝ち組の代表格のような人物である。


『中田英寿』他にもこんな記事がありますt
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元サッカー日本代表「中田英寿」勝ち組男の今現在の年収とは?(その1) [年収]

~年俸が良いだけでなく、現役時代から経営目線も長けていた「中田英寿」。
引退から8年、今なお億単位の稼ぎを得ると言われる、その手腕とは?~


こんにちは。

2006年29歳の若さで引退をした、
サッカー日本代表の「中田英寿」。

サッカー選手の引退後は、ライセンスを取得し、
監督やコーチとしてサッカー界に携わる方が多い中、
中田は引退後、世界各国を放浪するなど、
その動向について世間の注目を集め続けてきた。

選手時代には、最大で「年収13億円」稼いだ
とも言われている。

そんな中田は経営面での手腕も優れていて、
サッカー選手を引退した今でも
毎年、億単位の収入があるのだとか。

まさに、人生の勝ち組を象徴するかのような活躍を続けている。
一体どのようにして、サッカー選手を退いた今なお、
そんなにも大きな収入を得続けているのか??

今日は、そんな中田英寿の「現在の収入」についての話である。



【選手時代、中田英寿はいくら稼ぎだしたのか?】
下記の表とグラフは、中田英寿がサッカー選手として得た年俸と
年収の推移を表している。
(赤線が年俸、青線が年収。横軸に年齢、縦軸に報酬額。)
nakata_nensyu_matrix.gif
nakata_nensyu_grafh.gif


中田は1995年、18歳の時にベルマーレ平塚と
プロ契約を交わし、プロサッカー生活をスタートさせる。
各年代の日本代表で活躍するなど、名を馳せていた中田は、
プロに入ってもその評判通り、メキメキと頭角を現していく。

そしてプロ4年目の1998年、
イタリア「セリエA」のペルージャからオファーを受け移籍
移籍金は、当時、日本人へのオファーとして破格
5億2000万円」の値が付いた。


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ペルージャへの移籍で、21歳の時中田の年俸は8100万円まで上昇、
移籍と合わさるように3社とのスポンサー契約を交わすなど、
この時の年収は「4億円」超えと言われている。


そこからイタリアで中田の実力が認められ、
イタリアの中では弱小チームであった「ペルージャ」から、
名門チームである「ローマ」へと渡り、
イタリアリーグ「セリエA]を制覇。

この時、中田英寿の評価はサッカー人生最大のものとなる。
移籍金「32億円」、年俸「4億円」の超大型契約で、「ローマ」から「パルマ」へ。

加えて、出版本の印税、スポンサー契約(コマーシャル出演)や
日本代表での出場給などを合わせ、2002年
25歳の時にキャリアハイとなる、総額「13億円」もの年収を得たと言われている。


【次ページ】: 元サッカー日本代表「中田英寿」勝ち組男の今現在の年収とは?(その2)
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